宮城真理子 インタビュー ◇◇◇2002年卒多摩美ガラス5人展
10月1日(日)から始まる ◇ ◇ ◇ 2002年卒多摩美ガラス5人展。メンバーの皆んなに、卒業当時の進路から制作のこと、またこれからの展望について、升方がインタビューをした。
大学で学んだことで「どうやって生計を立てていったらいいのだろう」という事を常に考えてきた。Mariko Miyashiro
ガラスと自分と社会に対する姿勢は、卒業時から今に至るまで一貫していた。宮城は、2002年卒業生のスタッフとして、あづみ野ガラス工房に就職。
◇ あづみ野ガラス工房とは
旧豊科町と多摩美術大学クラフトデザイン研究会との提携で1985年に生まれた工房。当時の旧豊科町の町長が、観光資源のための協力を仰いできたことがきっかけ。原則、卒業年度毎に1人だけ採用される。
「卒業時に一人しか採用されないあづみ野ガラス工房に、みやし(宮城の通称)が勤めることになった”きっかけ”は何かあったの?」
大学卒業したての状態で、創作活動を仕事として成立させるにはどうしたらよいのかわからない中で、 あづみ野ガラス工房では、モノ作りに付随する様々なこと(技術、デザイン、価格設定、プロデュース、営業、経営など)を学べると思い、この工房へ就職をした。当時のあづみ野ガラス工房は本来5人体制、私が就職する年は、それまでのスタッフの早期退職者の関係もあって、退職者無しの5人体制のままなので、採用枠は0人だった。しかしその先の運営体制を考慮すると、一人多い6人体制になったとしても採用すべきと当時の先輩スタッフの方が判断し、その為の一人分の1年分のお給料をどうやって捻出するかを協議していた結果、主に以下のような運営対策を実施してくださった。
◯委託販売先を作る・・・各スタッフが営業に周り、一人1つの取引先を獲得してくること。
◯夏休みの外体験の実施・・・内容や方法などを協議の上、多摩美生のアルバイトに外体験をやってもらう事に。例えば、リューターでガラスに模様を描くような「吹きガラス以外の体験」も。
◯プロダクション工房作品の強化
これが軒並み功を奏し、次年度の一人分のお給料を担保できて、私は採用してもらうことができた。ずいぶん前の事なので、若干の齟齬があるかも知れないけれど、そのように記憶している。そして、仕事として創作活動するということは、上記のようなことを色々試行錯誤して実行することも大事なんだなと。ただ好きなモノを作るだけでは駄目で、やはり、利益に還元していくには、制作・創作以外のスキルも必要なんだと感じるエピソードでもあるね。
「結果、自分もアルバイトとして関わって、採用の機会や就職後の約1年分の給料を創出する事ができたんだね。吹きガラスは、制作環境を整えることが大変だと思うけど、あづみ野を卒房した後はどのように制作してきたの?」
あづみ野スタッフOB(馬越寿氏)のアシストだったり、今もお世話になっているBlue Glass Artsのスタッフとして仕事をさせていただいたりしながら、有難いことに制作環境は恵まれてきたと思う。
「作品について聞いていきたいのだけど、実際には、どのような心持ちで作品を作ってきたのだろう。」
初めて作家・宮城真理子として展覧会をしたのは、2006年の百貨店だったけれど、仕事のバランスとしては「表現:利益= 4:6」の感覚で取り組んでいて手堅くやってきたと思う。”生計を立てること、強いては仕事として成り立たせるためにはどうしたらいいのだろう”と第一に考えてきた。自己表現した作品に対して、他者や社会に価値を見出してもらい、かつ求めてもらうにはどうしたらいいかを考えた結果、用途や機能性を持たせた表現をしていきたくて、それを可能とする技術の追求もしてきた。独りよがりや自己満足になってないか、一方で、見る人や作品を求める人に媚びていないかを意識して制作している。実際に、趣味でやれば良いじゃないという人はいたけれど、自分は対価をいただいて仕事として成り立たせたい。「ガラスで生計を立てていると言える状態」にこだわって、それを目指してやってきた。
「これから制作を続けていく中で、どのような作品を作っていきたい?」
今まで通りの制作を続けながら、原点・初心に帰って、利益や用途に縛られない表現もやってみたいかもしれない。今回の展覧会が良いきっかけになるといいな。
宮城真理子ウェブサイト
◆◆◆ 2002年卒多摩美ガラス5人展
会期 : 2023年10月1日(日)~2023年10月8日(日)
時間 : 12:00~19:00(最終日17:00まで)
会場 : DEN+ (東京都渋谷区恵比寿南3-1-14-1F)
DEN+ 展覧会ページ
協賛 : 一般社団法人多摩美術大学校友会

2023.09.25 | | Trackback(0) | 作家/Artist
